現代の地図、特に紙の地図は北を上にして描かれることが多い。だが江戸時代の地図を見ると、上に来る方角はまちまちだ。これは、江戸時代の地図は、城を上のほうに置いてから下町を描いているためである。
江戸を例に見てみると、江戸は、江戸城の東側に日本橋などの下町が広がっている。よって江戸図では江戸城のある西方向が上になる。また、大阪図では大阪城のある東方向が上になるなど、他の地域でも同様に城のある方角が上になっている。
現在のような北が上の地図が主流となったのは明治以降。欧米から日本に地形図を作る技術が入ってきた頃からだ。北が上なのは、位置がほとんど動かない北極星を目印にしたからとされる。また、2世紀に古代ローマの地理学者のプトレマイオスが描いた世界地図が、緯度と経度を描くために設計上、北を上にしたからとする説もある。