野球の背番号を最初につけたのはニューヨークヤンキース

情報提供: PNブロッコマン 様||No.13

 野球の背番号は、1929年にニューヨーク・ヤンキースが採用したのが最初である。

 当時の背番号は、1番打者が1、2番打者が2と続き、8まで打順通りに割り振られていた。その頃は捕手が8番を打つことが多く、8が捕手の番号となり9は控え捕手に与えられた。また、投手は11から21までの番号を付けていた。

 そのため、1929年の開幕戦の先発オーダーだった3番のベーブ・ルースや4番のルー・ゲーリックが付けていた「3」「4」をはじめ、1桁の背番号の多くは、ニューヨーク・ヤンキースでは永久欠番となっている。

 一方、1916年には、アメリカのクリーブランド・インディアンスが背番号より前に、「袖番号」を導入した。だが、数字が小さすぎるなど不評が多く、すぐに廃止されたという経緯がある。クリーブランド・インディアンスはニューヨーク・ヤンキースと同年、背番号を導入した。

 日本で背番号が導入されたのは、1931年の第8回選抜中等学校野球大会(現・選抜高等学校野球大会、春の甲子園)が最初。なお、翌年の大会からは廃止され、1952年の第34回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)で復活した。